戸隠神社 マスターとの出会い
今から18年前の2001年
それは生まれ変わるような
大きな転機でした。
全身麻酔による手術を受け
誕生日を病院で迎えたのが
その年の3月。
退院して間もなく
オーラソーマティーチャーとして
各地を旅する生活が
本格的にスタートしました。
キリストが十字架で死を迎えたのが33歳。
それはもっとも天から離れ
地上と強く結びつく年齢であり
キリストがそうであったように
死と再生を体験する時期です。
心が一度死んで
生まれ変わるような
「魂の真夜中」を
通過します。
私自身もまた
多くの苦しみを経て
新しい道を歩み始めようとしていた
時期でした。
その頃、カバラのコースで
訪れたのが戸隠神社にほど近い
飯綱高原でした。
セミナー会場兼宿泊施設となったのは
ゲストハウス「iizuna OASIS」
音楽家 宮下富実夫先生が
ヒーリングミュージック実践の
ゲストハウスとして
オープンしたスペースでした。
そこは心も体も
魂をも癒す
優しい空間です。
当時、宮下先生は
アメリカと日本を行ったり来たりして
おられたのですが
ちょうど帰国されたタイミングで
その日の夜
「iizuna OASIS」へ
お顔を出してくださったのです。
洗練された身なり以上に
内側から溢れる
奥深い叡智に感嘆し
「世の中にこんな素晴らしい人がいるのか」
と目を見張るばかりでした。
(今回、久しぶりに写真を見て
テーブルの上に
バタフライ&シーエッセンスが
乗っていることに
驚きました)
その夜、リビングで宮下先生を囲み
神道のこと、戸隠神社のことなど
たくさんのことを教えて頂きました。
参加者のお1人が質問しました。
「私は厄年で
この飯綱高原は
来てはいけない方角だと言われました。
でも、どうしても来たい気持ちが
抑えられずに来てしまいました。
大丈夫だったのでしょうか?」
宮下先生は心から
優しい微笑みを浮かべて
答えました。
「厄年っていうのは
『人のお役に立つ年』のことなんです。
自分の利益をちょっと脇に置いて
奉仕のようなことをすると
いい時期なんですね。
ですから、こうしたセミナーに参加するのは
とってもいいことだと思いますよ」
その時、参加者全体、
そして、空間全体に
温かいものが流れました。
それは本当に感動的な衝撃でした。
人に恐怖を植え付けるような
表面的なドグマを超えて
ものごとの本質を見据える深い叡智と愛。
自分もまた
そうした視点をもって生きていけたらと
強く願い、決意した瞬間でした。
その後、宮下先生は
シンセサイザーで
演奏してくださいました。
それは細胞に響き渡り
細胞が生まれ変わるような
音の波動でした。
最後に宮下先生は
戸隠神社のことを
お話してくださいました。
※宮下富実夫先生が
書いてくださった直筆です。
鳥居から1000mは人間界
そこから先の900mは神界。
私たちは神に出会うために
内なる旅をし
やがて鏡を見つけます。
そして、鏡を覗き込んだ時
そこに映るのは自分自身の姿。
そうして私たちは
自分自身が神であることに
気づくのだそうです。
神殿に鏡が設えてあるのは
そういう意味があると教えて頂きました。
内なる神と出会う旅には
静寂が必要です。
戸隠神社の参道の
神界の領域では
沈黙して歩くことも教えて頂きました。
翌朝、戸隠神社を訪れてみると
「神界」という言葉は
例え話ではなく
本当にそこから空気が変わることを
ハッキリと感じました。
本当に喋ってはいけないような
荘厳で神々しい気に満ちていました。
帰り道は大雨の中
高速道路を運転してきました
振り返るとそれは
羊水の嵐を潜り抜け
再誕生するための
最後の通過儀礼だったのだと思います。
それから1年半後
宮下富実夫先生は
54歳と1か月で
天国に旅立たれました。
短い生涯に大きなお役目を果たし
今度は霊的世界でのお役目を担うよう
神々に依頼され
天に召されたような
気がしてなりません。
あれから18年。
私自身
当時の宮下先生の御年に
段々と近づいている今
足元にも及ばない
ちっぽけな自分がここにいます。
それでもひたすら
人々に対して
そして、自分自身に対して
誠実である努力を続けようと
思うばかりです。
2020年は戸隠とご縁を結ばれる
皆さまと共に
エリックジャパンツアーを
行いたいと思っています。
神々の坐す
静謐な空間の中
お1人お1人が
ご自身を労り
内側の旅をする
穏やかな時間にしたいと
願っております。
シルフェ
阿部小百合